うつ病~第3、4段階~

ども、リリーです!

 

うつ病も深刻化してくるととっても大変です

 

今回は医学的に最もやっかいで、重傷状態である段階についてお話しします

 

 

初期よりもおとなしく、落ち着いたように見えるので

周囲は安心し、軽症になったと感じます。

ですが、それは錯覚であり

抑うつ感は強く、絶望的な気分になることが一般的です

同じ言葉を繰り返すことが多いので

これについては気づきやすいかもしれませんね

 

心気妄想や貧困妄想、被害妄想が強くなります

そのため、外に出ることや、人目につくことを

極度にいやがります

被害妄想の部分が強く出ると、殺人衝動や自殺願望が高まります。

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食欲はなく、立ち座りもできず寝たきり状態で、不眠が続きます

健康状態が最悪なので顔色も悪く瘦せていきます

美容にももちろん気をつけなくなります

 

死にたいと感じますが、気力がないので

実際に行動に移すようなことはしません

ですが、カッターナイフや包丁は手頃に手に入るので

油断しているとそれらで自殺してしまうケースもあります

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そもそも健康状態が悪いので、肺炎や脱水症状を併発する場合があります

そのため、周囲の人はしっかりと見守る必要があります

 

 

私もこの段階は経験しました

そして、この頃やっとこさ病院に行きました

だいぶ遅いですね、はい。

お医者さんにはすぐにうつ病だと言われました

 

薬物治療とカウンセラーをつけます

 

あぁ、いやだなぁ、、、

「結構です」

気づけばそう口にしていました

もちろんお医者様にはいろいろ言われるし

親も心配していました

でも、どうしても嫌だったんです

すべてにおいて絶望していて、気のない自分には判断できたことではなかったです

少し前から、自分がうつ病であると気づいていましたから分かってはいました

なぜか、誰からの言葉を聞いても、自分でも分からないまま断ったのです

 

当然症状はひどいものですが

何が救われたかというと

食事をとった(強制的だけど、、、)ということです

思い切りがいいというか、豪快な友人がいつも私の口に

ご飯を突っ込んでくれていました

抵抗する気力もない状態であることを、いいように使って

逆にとてもお世話になったものです

 

お世話してもっらったといっても、学校にいる間だけなので

家でまで一緒にいた訳ではありません

ですが、私の家族も、私のことを放置はしなかったのです

 

病院に行かない私を許してくれるのに

自分の作った料理を食べないなんて許さない

病気だろうが何だろうが関係ない

そう考えていた母が私に行った一言です

 

「食べなさい、食べて、生きなさい」

 

ピシャリ

漫画だったらこんな効果音がつきそうですね

この言葉のおかげで、何とがご飯も食べれていました

初期の頃や、もう少したった頃は

食べてもすぐに吐いたりしていましたが

このときは吐き出す気力も持っていませんでした

 

私はこのとき自殺しようと試みたことがあります

 

カッターナイフを手にとって、ベランダにでました

首筋にあて刃のの刺さる感覚を感じ

 

「よし、死ねる」

 

そう思ったときでした

ベランダと繋がる部屋で父と母の会話が聞こえました

もう4年ほど前ですが、今でもよく覚えています

 

「病院に連れて行かなくて本当に元気になるんか?」

父の疑問はまったくその通りだと思いました

「病院が嫌っていうんや、信じることも大切やと思う」

母の強さを感じました

「どこかに消えてしまいそうだ」

ごめんなさい、今まさに消えようと思ってます

「大丈夫やと思いたいなぁ」

ああ、親不孝でごめんなさい

 

なんだか分からないけど

今まで世界を見渡しても灰色で

音もろくに聞こえなくて

どうにもならなかったのに

少しだけ色も、音も

空気のにおいも感じることができました

 

この日から私は少しずつ変わりはじめることとなるのです

 

とまぁ私の話はこのぐらいにしておきましょう

どうすれば支えることができるのか

患者である私の見解ですが

 

決定的な自分の中に影響を与える何か

 

これがとても重要になってくると思います

それが行動なのか言葉なのか

それについては、きっと人によって違うのでなんともいえませんが

私は言葉で助けられました

 

自分が見捨てられていない

愛されている

そう実感できたからだと思っています

 

もちろん自分のためにたくさん動いてくれた

周りの行動も影響あったと思いますが

それ以上に周囲の言葉が自分にはよく残っています

 

もう少し時期が後になりますが

私は音楽にも支えられました

ずっと大好きだったアーティストの歌を聴いて頑張っていました

このお話はまた今度

 

なので、私たちはエスパーではないので

他人のすべてを理解することはできません

ですが考え、挑戦することはできます

いいんです、なんだって

愛を感じることが患者にとって、勇気となり、希望となる

私はそう信じています

再び元気な自分を取り戻すためにも

側にいる人がとても大切な役割を持つかもしれませんね

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